興味深いドイツの国歌の話

文化

ミュンヘンに住み始めて半年。

ある日、ぼーっと地下鉄を待っている時に、ある疑問が突然浮かびました。

「この国の国歌ってどんなんだっけ?」

軽く調べてみたら思ったよりも深面白かったので記事にしました。

早速ですが、ドイツの国歌はこんな歌詞とメロディーです。

短いですが素敵です。

"Einigkeit und Recht und Freiheit"
"統一と正義と自由"

für das deutsche Vaterland!
父なる国ドイツのために!

Danach lasst uns alle streben,
それに向かって皆あらゆる努力を

brüderlich mit Herz und Hand!
兄弟のように心と手で!

Einigkeit und Recht und Freiheit

統一と正義と自由は

sind des Glückes Unterpfand;

幸せの誓い。

Blüh' im Glanze dieses Glückes,

この幸せの輝きの中で、花を咲かせよう。

blühe, deutsches Vaterland!

花よ咲け、父なる国ドイツよ

しかし、人によっては歌詞が短いことに違和感を感じるようです。一例 → Quora

これが実は尤もな指摘で、現在のドイツの国歌は、第二次世界大戦以前のドイツの国歌、”Deutschlandlied”の3番のみを抜き出したものなのです。

何故3番だけなのかというのは、以下動画、日本語訳付きのフルの”Deutschlandlied”を聞いて頂ければわかるかと思います。

動画のトップコメントに笑ってしまったのですが、聞いてみると確かに”Deutschlandlied”はこのコメント通りの内容の歌だったのです。

第二次世界大戦後、この歌の主に1番と2番の過激さが、ナチス政権のイデオロギーを呼び起こすとして、ドイツ内のアメリカの占領地などで禁止されたりしました。

こうして、”Deutschlandlied”は実質タブー化してしまいます。

1949年に東ドイツが建国されると、ドイツ民主共和国は詩人ヨハネス・ロベルト・ベッヒャーの「Auferstanden aus Ruinen(廃墟からの復活)」を新国歌に選びました。

しかしながら、同年に建国された西ドイツが新国歌を見つけるには時間がかかりました。

公式な国歌が無い西ドイツは、ハンス・フェルディナンド・マッスマンが1820年に発表した民謡・学生歌「Ich hab mich ergeben」(私は降伏した)や、カーニバルソングなど、場面によって国歌が異なるというカオスな状況に陥りました。

その後、テオドール・ホイス大統領が全くの新曲を国歌とすることを提案するも、国民投票にて却下されます。

同じ時期の1952年、”Deutschlandlied”の存続に賛成していたコンラート・アデナウアー首相が、公式の場では3番しか歌わないという条件で、大統領を譲歩させた結果、”Deutschlandlied”の3番のみが、西ドイツの国歌として正式に採用されることになりました。

“Deutschlandlied”の3番は、1989年のベルリンの壁崩壊以降から現在まで、ドイツ全域の公式な国歌として存続しています。

なお、”Deutschlandlied”は、1841年、詩人アウグスト・ハインリッヒ・ホフマン・フォン・ファラーズレーベン(1798-1874)が、統一ドイツ帝国を作るメッセージを込めて(当時のドイツは、諸侯の支配のもと、無数の国家に分裂していた)、書き残した歌詞を、1797年に作曲されたハイドンの「皇帝四重奏曲」の旋律に乗せて作られたものだそうです。

そして、1922年に、社会民主党の大統領フリードリヒ・エーベルトの下、ワイマール共和国(1919年~1933年のドイツ共和国の名称)の正式な国歌となりました。

“Deutschlandlied”はナチス政権下でも、1番のみが切り取られて国歌として存続していました。

フォン・ファラーズレーベンが、もともとドイツ民族の統一を願って作詞した、「ドイツ、ドイツ、世界のすべての上に」という歌詞が、皮肉にもナチス政権のイデオロギーにぴったりはまってしまったようです。

このような歴史を持つドイツの国歌ですが、現在は比較的平和な3番だけが残り、一件落着・・・、

というわけでもないようです。

例えば、2018年、ドイツ家庭省の機会均等担当官、クリスティン・ローズ・メーリングが、男女平等を反映するために、現国歌の歌詞を修正するよう提案しました。

彼女は、”fatherland “を “homeland “に、”brotherly, with heart and hand “を “courageously, with heart and hand “に置き換えることを提案しましたが、この変更は採択されませんでした。

また、国内の知名度の問題もあります。ある統計によると、ドイツ人の50%しか国歌の歌詞を把握していないようです。

それもあって、ドイツには新しい国歌が必要ではないか、少なくとも古い国歌を作り直す必要があるのではないか、という声も未だに多く聞かれるようです。

なお、”Deutschlandlied”の1番と2番はタブーとされており、歌われる機会はほとんどないものの、法律などで禁止されてはいないようです。

以上、ドイツの国歌が興味深いお話でした。

余談ですが、そもそも世界中の国歌は、かなり暴力的らしく、例えば、フランス人は1792年に作られた国歌で、敵の血が田畑を潤すと歌い、イタリア人は平和と自由のために死ぬ覚悟で戦い(1847年)、アルゼンチン人は同じ理想のために華麗に死ぬと誓っています(1813年)。

スペインなんかは、国歌に関わるいざこざを亡きものとするため、1761年に作られた国歌の「Marcha Real」から歌詞を全消ししたりしています。日本の国歌の歌詞にも未だに賛否両論あるなど、各国、国歌の取り扱いには手をこまねいているようですね。

以下を参考に記事を書きました:

The story of Germany’s national anthem

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